秋田地方裁判所 平成6年(つ)1号 決定 1996年9月13日
主文
本件請求をいずれも棄却する。
理由
一 本件請求の趣旨及び理由
請求人は、平成五年一二月二四日、被疑者ら一〇名を、後記の被疑事実について秋田地方検察庁検察官に告訴したところ、同庁検察官は、平成六年九月一日、右事件について公訴を提起しない旨の処分をしたが、この処分には不服があるから、右事件を刑事訴訟法二六二条一項により裁判所の審判に付することを請求する。
二 被疑事実の要旨
被疑者らは、いずれも、秋田県警察本部に所属する警察官として、秋田市千秋明徳町一番九号所在の秋田警察署に勤務し、法令により犯罪の捜査等の職務に従事する者であるが、平成五年一二月一〇日午前九時ころ、当時秋田地方検察庁次席検事であったBの秋田警察署刑事第一課長に対する電話連絡を受けて、秋田市《番地略》所在のB方に赴き、同所で、講談社発行の写真週刊誌「フライデー」のための取材をしていた請求人に対し、請求人が、以前、週刊誌等で秋田県警察本部及び秋田警察署の不祥事について取材し、報道したことから、請求人を快く思っていなかったこともあり、右Bの要請に乗じ、請求人を逮捕して、秋田警察署に監禁しようと共謀の上、請求人に対し「A、お前を秋田署に任意同行する。秋田署まで来いと言っているのが分からないのか。秋田署にはお前の会いたがっている警察官も沢山いるから来い。」などと言って、請求人が拒否しているにもかかわらず、数人で、請求人の腕を抱え、その背中を押し、捜査車両に無理矢理押し込み、請求人の頭部、両腕、両足、背中などをこもごも殴る蹴るなどの暴行を加えながら秋田警察署に連行し、同署取調室に監禁したものであるが、その際、請求人に対し、加療二週間を要する右手打撲、右手背擦過傷の傷害を負わせたものである(告訴時は加療期間が一週間とされていたが、本件付審判請求において二週間としたものである。)。
三 請求人の供述の詳細
請求人の供述するところを総合すれば、本件の経緯は、以下のとおりであったというのである。
フリー・ジャーナリストである請求人は、講談社発行の写真週刊誌「フライデー」に記事を掲載するため、Bについて取材をしようと、フリー・カメラマンCと共に、平成五年一二月一〇日午前九時ころ、B方に赴いた。
その時、Bは、検察庁へ登庁するため自宅を出るところであったが、玄関を出たところで請求人と出会い、請求人から取材の申込みを受けたため「記者さん、家の中に入ってください。」と言って、家の中へ入って行った。そこで、請求人は、Cを連れてB方玄関の方へ向かった。
請求人が、B方に入り、奥の部屋へ向かって歩き始めたところ、Bは、血相を変えて飛び出してきて、請求人を突き飛ばし、玄関の方へ突進して行き、玄関でCともみ合いが始まった。その際、Bは、Cの襟首のあたりの衣服をつかんで締め上げた。
請求人は「Bさん、暴力はやめてください。」と叫びながら、Bの後ろから着用していたコートの両肘を引っ張り、Bの暴行を止めようとしたが、それでもBはCから手を離そうとしなかったため、その場の状況を証拠として残しておこうと考え、Cに写真を撮るよう命じ、それに従ってCは、後ろに下がり、その場の状況を写真撮影した。
その後、Bは「警察を呼んでやる。」と言って奥の部屋へ駆け込み、電話で「もしもし、秋田署ですか。刑事一課長をお願いします。次席のBです。この間の週刊誌のヤツが勝手に家の中に上がり込んできて、私に暴行を加えたんです。すぐに来てください。」と話した。
その後間もなく、警察官一名が現れ、それに続いて、殺気だった表情をした私服の警察官十数名が、一気にB方玄関先になだれ込んで来た。
そして、被疑者の一人は、請求人の左脇で請求人の腕をかかえ、またもう一人の被疑者は、請求人の左斜め前で請求人の腕を引っ張り、請求人をB方から連れ出そうとした。また、被疑者らの中には、請求人が同行を拒否する旨述べると、手錠を取り出して、逮捕すると言った者もいた。その他の被疑者らも、請求人の背後や右側について、請求人が同行を強く拒んだにもかかわらず、請求人をB方敷地から連れ出すため、請求人の体を押したり、引っ張るなどした。
請求人は、B方敷地外の道路まで連れ出されたが、そこには、騒ぎを聞きつけた近所の住民や通行人がいたため、被疑者らは、一旦、請求人から手を離したものの、請求人が、同行を拒否する旨述べて、宿泊しているホテルへ帰ろうと歩き出した途端、被疑者らは、一斉に、請求人の体に手をかけ、腕をかかえ、後ろから押して、近くに止めていた捜査用ワゴン車の方へ連れて行った。そして、ワゴン車のドアのところまで連れて来られた請求人が、車の中に押し込まれないように、右足をドアの下部にかけ、踏ん張ったところ、被疑者らは、請求人の足を蹴飛ばしたり、肩や背中を叩いたり、後頭部を殴った。このワゴン車に乗せられる際、請求人は、右手の甲の手首に近い部分に金属のような固いものでえぐられるような痛みを感じた。
四 請求人の供述を除いた証拠によって認定しうる事実
本件の捜査にあたった検察官は、C、B、Bが登庁するための官用車の運転手、被疑者一〇名及び当時B方官舎の外壁工事のためB方近くに来ていた業者二名を取り調べたほか、その他の証拠収集を行った。それらによれば、本件の経緯は、以下のとおりであったとされる。
1 平成五年一二月一〇日午前九時前、Bは、検察庁へ登庁するため自宅を出るところであったが、玄関を出たところで請求人と出会い、同人から取材の申込みを受けた。
その際、請求人に同行してきたカメラマンCが無断でBの写真を撮ろうとしたため、Bは、それを避けて、請求人にだけ話をするつもりで請求人のみ玄関にあがるよう言い残し、自分はそのまま玄関の中に引き返した。
ところが、Cは、自分もB方に入ることを許されたと誤解し、請求人の後に続いてB方に入り、靴を脱いで廊下に上がろうとした。
Bは、Cの姿を見て、Cが無断で自宅に上がり込んできたものと勘違いをし、Cを家の中に入れまいとして、同人の正面に出て、Cの体を両手で玄関の方へ押し戻し、一旦は玄関口からCを出した。しかし、Cが、引戸を閉められないように、片足を引戸と壁の間にこじ入れて再び玄関に入ろうとする様子をしたため、BはなおもCの体を外へ出そうとした。それを見た請求人は、Bの背後から両手をBの胴に回し、Bの体を押さえつけるようにしながら後方に引っ張り、Bを押さえようとし、Cはカメラのレンズを玄関の引戸と壁側のサッシの隙間から玄関の中に入れて、その場の状況を撮影した。
Bは、請求人とCの二人がかりでこられては到底一人でこの場を収めきれないと考えて、家の中に引き返し、同日午前八時五九分、一一〇番して、警察にその場の状況を通報し、助けを求めた。
2 Bから一一〇番通報を受けた秋田県警察本部通信司令室は、同日午前九時〇〇分、秋田警察署に対し「秋田市《番地略》B方において住居侵入事件あり。被疑者は二名で現場にいる。至急出行されたい。」旨連絡し、これを受けて機動警ら執務室にいた被疑者D及びEがパトカーに乗車して現場に向かった。更にその後、被疑者F及びGもパトカーで現場に向かった。
被疑者D及びEは午前九時五分ころB方に到着し、被疑者EはB方敷地外にいた関係者からの事情聴取に当たり、被疑者DはB方玄関に赴き、敷居を跨ぐようにして立ち、Bとにらみ合っていた請求人に一旦は声をかけるなどした後、Cが見当たらないため、被疑者Eに一名が逃走したことを無線連絡するよう指示してから玄関に引き返し、Bとにらみ合いを続けている請求人の動静を見守りつつ、刑事一課の捜査員の到着を待った。
一方、前記通信司令室から本件の連絡を受けた秋田警察署刑事一課の被疑者Hは、被疑者I、J、K及びLに出行を指示し、被疑者Iらは直ちに捜査用ワゴン車に乗車してB方に向かい、また被疑者Hも被疑者Mと共に捜査用普通乗用自動車で現場に向かい、午前九時五分ころあいついでB方に到着した。
3 被疑者KがBに事情を聞いたところ、Bは「この記者とカメラマンの二人が、突然来て、勝手に自宅に上がり込んできた。」と述べ、被疑者Iの質問に対し、請求人は「取材に来ただけだ。」等と答えた。その後やや遅れて到着した被疑者Hが、更にBに事情を訊ねたところ、Bは「カメラマンに家の中から出て行ってくれと申し向けたが出ていかないため、同人を家の外に押し出そうとしていた時、請求人に背後から引っ張られる暴行を受けた。」旨申し立てたので、請求人にも事情の説明を求めたところ、請求人は「フライデーの者だ。私の連れが逆に検事に暴行された。」旨申し立てたが、その連れの者は現場におらず、連れの氏名や宿泊場所等についても知らないと言い張るのみであった。被疑者Hは、被疑者Iらに対し、請求人を秋田警察署に同行するよう指示した上、自らはBから被害事実の詳細を聴取するため、被疑者Mと共に、Bの案内で同人方に入った。
4 被疑者Iが、請求人に対し、任意同行に応ずるよう説得すると、それに応じてB方玄関から出たので、請求人を囲むような格好で、B方の門の方へ向かって歩いて行った。その際、請求人の腕を掴んだり、引っ張ったり、押したりすることはなかった。その後、右被疑者らと請求人は、B方敷地を出て路地に入り、更に、市道へと歩いて行ったが、その間も、請求人の体には一切手を触れていないし、請求人も抵抗していなかった。
その後、被疑者Lは、ワゴン車を移動させるため、請求人の側を離れた。被疑者I、J及びKが請求人と一緒に市道に出たところ、請求人はその場に至って突然同行を拒否し、中央通り方面へ立ち去ろうとする素振りを見せたため、被疑者Iらが、請求人の肩に手をかけるなどしながら任意同行に応じるよう説得し、Lが移動させてきたワゴン車に乗るよう促したところ、請求人は自らワゴン車の乗降口の方に歩いたが、なおも乗降口のステップに足をかけて踏ん張ったり、手を屋根にかけたりしてワゴン車の中に入ることを拒んだ。被疑者Iらが請求人の肩などに手をかけたりしながら乗車するよう説得したところ、請求人は自発的にワゴン車に乗り込み、中央座席の窓側に座り、ワゴン車は秋田警察署に向かった。
5 被疑者Hは、秋田警察署に戻った後、請求人の取調に当たったN強行犯係長から、請求人が「同行される際けがをした。」と言っている旨の報告を受け、自ら確認したところ、請求人の右手に擦過傷があったので、鑑識係に命じてその傷を写真撮影させた。
請求人は、その傷の診療を受けるため、山王整形外科医院に行き、湊昭策医師の診療を受けた(同日付けの診断書によれば、右手打撲、右手背擦過傷により、向後約二週間の加療を要する見込みと診断されている。)。
平成五年一二月一六日、請求人は、その傷の状態を写真撮影し、告訴状に添付して提出した。
五 検討
請求人主張の暴行の事実を窺わせるものは、請求人の供述のみである。その他の者は、被疑者らが請求人を殴ったり蹴ったりしたことはなく、請求人が被疑者らの指示に従って素直に捜査用ワゴン車に乗り込んだという認識で概ね一致している。むろん、被疑者らが全員秋田県警察本部に所属する警察官であることから、相互に接触して働きかけ、調整する余地が全くないとはいえないし、また、検察庁関係者もこれに準じて位置づけるべきであろう。しかし、現実に存在した事実を存在しないと仮装しようとしても、それぞれの者の記憶として供述する場合には、やはり不自然な部分が露呈してしまうのが通常であろうと考える。しかし、本件の関係者らの供述にはそのような不自然な部分がなく、各個人の率直な記憶が述べられているものと評価できるのである。また、被疑者らの供述するところは警察・検察とは直接関係のない第三者の供述とも符合する。
以上の証拠構造の下では、請求人の主張するような暴行の事実を認めることは困難であり、むしろ、事実関係は前記四のとおりであったものと認めるべきである。そして、前記四の事実によれば、被疑者らのうちの数名が請求人に同行を求める際に請求人の肩などに手をかけたりしているのであるが、当時の状況の下では、被疑者らにおいて請求人が住居侵入罪又は暴行罪を犯したことについての相当の嫌疑を抱くことはもっともであり、そのような嫌疑を抱いた場合に、請求人を取り調べるため秋田警察署に任意同行を求めようとすることは違法ではない。また、任意同行に際して、右の程度の有形力を加えたとしても、これをもって、許容範囲を超えた不相当なものとはいえない。
なお、請求人は、本件当日、右手背擦過傷の傷害を負っていたことが認められ、これは請求人主張の暴行の事実を認める証拠となりうるようにもみえるが、右程度の軽微な傷害は日常生活を送る中においてもしばしば生じる程度のものであって、前記の請求人がB方に入ってからそこを出て捜査用ワゴン車に乗り込むまでの経過の中で何らかの物と接触することにおいても容易に生じうるものであると考えられる。右傷害の存在のみから、請求人主張の暴行の事実を認めることは困難である。また、仮に、任意同行の過程で右のような傷害が生じたとしても、そのことから直ちに本件被疑者らの右有形力行使が違法となるものではない。
したがって、被疑者らの行為は、特別公務員暴行陵虐罪の「暴行」には当たらないから、同罪は成立せず、その結果的加重犯である特別公務員暴行陵虐致傷罪も成立しない。
六 以上の次第であるから、検察官が、本件特別公務員暴行陵虐致傷罪の被疑事実について、嫌疑がないことを理由に被疑者らを不起訴処分としたことは正当であって、本件付審判請求は理由がない。
よって、刑事訴訟法二六六条一号により、本件付審判請求を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 秋山 敬 裁判官 伊沢文子 裁判官 佐藤重憲)